女として

例えば電車の中で化粧をしている女性がいたとする。
その人が鞄の中からポーチと鏡を取りだし、すっぴんの状態から下地からファンデーション・アイメイク・つけまつげなどをしていたらどう思うだろうか。

私ならすっぴんと仕上がりの違いがどんなものになるのか、化粧が上手かなどを面白がって見る。
ただ、女としてはダメだなと思ってしまう。
やはり電車の中で化粧をするというのは誰かに迷惑をかけるかどうかは微妙だが、よろしいことではないだろう。
同じように電車の中で化粧ポーチと鏡を取りだした女性がいたとする。
しかし彼女はすでに化粧をしていて仕事帰りで、化粧もパウダーなどで崩れた箇所と口紅を塗りなおしただけだとしよう。
この場合だとそんなに不愉快に思う人は少ないのでじゃないだろうか。
私なら仕事が終わり、これからデートに向かう途中なのかなと思い、女性らしさも感じられる。
私が男だったら最初の女性は嫌だが、二番目の女性なら自分の為に綺麗になろうとしてくれるような女性と好感が持てる。
この捉え方の違いはなんだろうか。
人によって考え方も捉え方も違うから難しい。
もしかしたら最初の女性にも何かしらの理由があったのかもしれないが、、私だったらその化粧をするぶんの時間、早起きをするだろう。
寝坊してしまったので電車で化粧というのは理由のして認められない。
化粧をするために早起きもできない程度の美意識、電車で化粧が出来てしまう羞恥心の無さ。
女性にとって化粧とは大切なものだ。大人になるとある程度の化粧はマナーとなる。
自分の好きな化粧と、仕事に適した化粧を使い分ける必要もある。
化粧もただすればいいというものではない。
自分の顔に合った化粧というのをするのが一番いいのだが、もはや元が分からないくらいに化粧で顔を飾っている人もいる。
私も自分の顔に自信がなくて、ばっちりメイクの時とすっぴんの時で別人なくらいに化粧をしていた時期がある。
化粧を落とした時の自分の顔を見た時に、こんなにギャップがあっていいのだろうかと考えた。
若いうちはいいが、いつまでもこんな化粧をできるわけではないだろう。
そして肌への負担もすごい、こんな化粧をいつまで続けるのだろうか。
私はすっぴんとの違いをなるべく減らしたくて、自分の顔のパーツに合った化粧を研究した。
人前に出れるけれども、自分の顔のパーツの特に目元を無理に偽らずに、すっぴんとのギャップがあまりないメイクをしているつもりだ。
化粧をするには理由がある。
特に出かけたり誰かと会ったりなど、何か無ければ化粧はしない。
私が一番丁寧に化粧をするのは、好きな男性と会う時だ。
好きな人に恥をかかせないよう、濃すぎず薄すぎないメイク。
相手の人が自身の服装や連れて行ってくれる場所などを考えてくれているのに、私が化粧をまともにしなければ失礼だ。
隣に並ぶには不釣り合いになってしまう。
女性の身だしなみに必要なのは清潔感。
洋服はもちろんのこと、髪の毛のお手入れは特に重要。
きちんとまとまっている、できればキューティクルもあったほうがよく、はねているのは論外。
髪の毛にまできちんと気を使っているか、それで人の印象は全く変わってしまう。
女は毎日のケアをしなければいけない反面、誤魔化しができるというメリットもある。
どこまでを自分に追求するのかによっても変わってくるので、外見だけでも挙げるとキリがない。
しかし、綺麗になれる可能性というのを最大限まで活かすことが大切である。
それは女として生まれてきたからには最低限の努力はしたい。
自分磨きに完成は無い。
だからこそやりがいがある、ちゃんとやる人と怠る人で、どんどん差が開いていく。
それは若いうちにはそんなに感じないだろうが、年々感じざるを得ない。
だから私は自分に対して今できる精一杯をして、女性らしくなりたいと常々思っている。
女として生まれてきたのだから、それは当り前のことだ。

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