偽善者ごっこ

私は良い人だ、というのはおかしいが、良い人と思われるのが好きだ。
相手の為に何かをしたい、自分のできることをしたいと思っているのだが、それは結局自己満足感を得たい為だ。
相手に「よい事」をして、笑顔になってもらったり感謝の言葉をもらうことが好きなのだ。

相手の為と言えば聞こえがよく、,相手が私がしたことによって喜んでもらえたならば、それは結果として相手の為になるのかもしれない。
しかし心のどこかで、自己満足を求めている自分がいる。
そうすると行きつくのは、やはり相手ではなく自分のために行動するただの偽善者なのだ。
その偽善行為が相手の為になったか、はたまたありがた迷惑になったかは私には分からない。
日本人は誰かに何かをしてもらう受け身の側になると、「ありがとうございます」や「すみません」の言葉を思っていなくてもつい口にしてしまう。
相手の本心なんか分かるはずがない。だから分からないままでいいのだ。
困っている相手の力になった自分が好きなだけだから。
臓器提供意思カードを常に財布に入れて持ち歩いている。
延命治療をするくらいなら、いっそ私の臓器を使って助かる人がいるのならぜひもらって欲しい。
以前、ドナー登録と献血をしに行ったら体重不足で断られた。
もしかしたら私がドナー登録をしたら救われる人がいるかもしれないのに。
登録をしたくても出来ないなんておかしな話だ。
その数時間後に受け付けの人が変わっていたので、リベンジしたが結果は同じ。
若干腹が立ったので足りない分の量の水をがぶ飲みをしてから行ってやろうかと思った。
でもそんなに何リットルもの水を飲める気がしなかった。1リットルだてきつい。
その程度で諦める偽善者。
いろんな募金活動やチャリティーなどが行われているが、興味は示しても実際募金したりはしない。
本当にそのお金が使われるのかどうかを怪しんでしまう。
ニュースでもたまにみる、募金と偽って自分たちで使っているという詐欺。
そういったものは世の中の公になっていないだけで、もっとたくさんあるだろう。
有名な大きな団体も信用が出来ない。
まったく使われていないとは思わないが、必要ないところにも使われていて本当に役にたっているお金は何割なのだろうかと考えてしまう。
本当に良い人なら、現地に行き自分でボランティアしに行くだろう。
でもお金にそんなに余裕が無いだとか、それだけの時間を取れないなどを言い訳にして結局何もしないのに、本当に世の中の為にと活動している人たちですら一部の詐欺師からの不信感から疑って文句を言っている。
もういっその事、興味すら持たずにいれば何もしないのに文句だけを言うなんて事もしなくていいのに。
偽善者なんか程遠く、これでは質の悪いクレーマーだ。
私は「一期一会」の出会いが好きだ。
駅のホームのベンチで電車待ちをしていたら、隣に座って話しかけてきたおばあちゃん。
待っていた電車がきてもおばあちゃんは話を続けてるから何本か見送り、少なくとも20分は話してたと思う。
すごく懐かしそうに楽しそうにしてたし、特に時間に追われていた訳でもないので話し相手になっていた。
じゃあそろそろ、という雰囲気になったらおばあちゃんは駅のホームを降りて行った。
てっきり一緒に電車を待ってるんだと思っていたから、あれっとなったが、きっと話し相手がいなくておばあちゃんは寂しかったんだと思った。
御主人も亡くなってしまい、子どもたちも近くにいないと言ってた。
当時の私がお孫さんに近い歳だったらしく、それが会話の発端だった。
おばあちゃんが帰ってしまってから、ほんわかした気持ちとちょっとセンチメンタルな感じだった。
昔、若気の至りで家出をして行く場所もお金もなくて途方にくれてた私に話しかけてくれたおじさん。
理由なんかはもう忘れたけど、その時私は泣きながら駐車場の車止めに座っていた。
その近くに小さな飲み屋がいくつかあり、駅の近くだった。
一軒の居酒屋から三人組が出てきてそのうち一人の酔っ払いが絡んでこようとした。
泣きべそかきながら座ってる小娘は、酔っ払いに背を向けてまたじっとしていた。
しばらくして隣の車止めに誰か男の人が座ってきた。
先ほどの三人組の1人だったが解散したみたいで、その人は酔っ払ってなかった。
時計を持ってなかったので分からないが、一時間かそれ以上は話していたと思うが内容は覚えていない。
でもおじさんはすごく優しく諭すように色んなことを話してくれて、気が付いたら泣きやんでいた
あの時、おじさんがいなかったら私はどうしていたんだろうと本当に思う。
名前も知らないあのおじさん。
顔も忘れてしまったけど、もしまた会えるなら一緒に呑みたい。
書いていくときりがないほど、知らない人に助けられ、温かい気持ちをもらった。
その人に直接、お礼を言ったりすることはできないから、私は私なりに知らない誰かに何かをして、私とお同じような気持ちになってもらいたい。
それが連鎖をしていったら、どれほど素敵なことだろうか。
人が何かで満たされるというのは、物ではなく目に見えないものをもらった時だ。
プレゼントをもらうのだって嬉しいけれど、それはプレゼントそのものが嬉しいというよりも、「あげたい」と思ってくれた気持ちと、何をあげたら喜ぶか「考えてくれた」というのが嬉しいのだと思う。
誰かの誕生日をお祝いするのはすごく楽しい。
学生時代から、その後の職場でも誰かの誕生日というと、事前から準備して喜んでもらう方法を考えていた。

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